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お引越ししてきました

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タイトルなし

 昨日未明に、自宅介護していた祖母が他界しました。先月69歳になったばかりでした。
 昔から体型が肥満であったので歳を重ねるにつれて病気を併発してきました。そして4年前に脳血栓を患い、階段から落ちて命に別状はなかったものの記憶障害を起こし軽い認知症になりました。このときはまだ介護を必要とせず、自力で歩き、家事等々をやっておりました。
 時間が進むにつれてその認知症は酷くなり、2年前の私が実家に戻る少し前に次女と母は亡くなった祖父の愛人で2Fの窓から他の男と逢引をしていた!!と言うようになり、次女と母は何度か首を絞められ殺されかけるという悲惨な介護を送っていました。私は7人兄弟ですが、私が実家に居る時は私と長男と下のチビ三人だけ認識し、父は祖母の弟に、次女と母は愛人に、三女は祖母の妹(写真で確認したら間違えそうなほど似てました。)に間違えられていました。そして次女は家を出て、母はなんとか接触を最低限にし介護をしてきたのです。
 そして再び、心筋梗塞と脳梗塞を発症。これにより認知症も進み、補助なしでは立つことができなくなったのです。
 
 それから1年…
 
 父が介護と借金で苛々がピークに達していました。そのせいか介護でも怒鳴り声が多く、既に判断が鈍く体が動かない母親にまともにできないことをさせ、脅して家族も食事をしながらそれを見ていたのでこちらも苛々がピークに達していました。祖母もご飯を食べずに涙を流しながら見えない目でどこか遠くを見ていたのをとても覚えています。
 
 そして疲れたのでしょうか?私が実家に戻り1年経つ少し前、祖母は脳内出血を起こし倒れたのです。この時アルバイトを終えて帰るときで、聞けば遅い夕食で祖母が気付いたら倒れていたそうです。トラックバック参照。
 15件の受け入れ拒否の末、一命は取り留めたものの左半身麻痺の植物状態に。
 約2ヵ月後、自宅に戻り自宅介護を再開。要介護5になり、介護も通常食からカテーテルを使った栄養剤の投与という形になりました。これがとても大変で、私もこれぐらいしかできませんでしたが元々着けてあるカテーテルから容器の管を繋ぎ、そこからゆっくり時間をかけて飲料を流し込み栄養を与える方法です。流動食と似たようなものだと思います。ただ完全に水分です。これを朝晩、できるなら昼にも与えることで床ずれ等を防ぐことができます。
 ただこれも難しいもので誰か一人じゃできないんです。父は昔に比べたら割と早く帰れるようになり、介護をすることが可能でしたが、母が帰るまで何もせずにいました。なので母が介護をし、食事をし、子供たちを見て、自分の親兄弟の様子を見ていました。とても大変だったのです。帰りたくても月一でさえ実の母親のところに帰れず、介護をしていました。
 
 そして母方の祖母の他界…。
 
 妹たちが入籍して1週間後のことでした。ちょうどめでたい事が続き、母が何かを感じて報告しに入院先に行った1週間後他界…。あまりに唐突で、予想もできず、でもその前日には全員で顔を出せて、祖母も会えて安心したのだと思います。母にとってはとても辛い事でした…。
 
 そしてすぐにまたこちらに専念しましたが、母の過去されてきた事や怒り、父への不満はピークを越していました。何も言わない祖母に母は八つ当たることもありました。私もよく思いました。実の息子である父がお医者様目の前にして金だけかかるのは事実だから早く死んじまうなら死んでもらったほうが楽だと…。気持ちとは裏腹なのかとは思います、でも私にはそれがとても複雑でした。実の娘だって(私から見たら叔母ですが)、15年ほど付き合って2世帯住宅を建ててまだ相手と結婚していないのです。過去いろいろあったかもしれません、私のせいでそのお相手がかなり言われたかもしれません、腹をたてるのもどうかとはわかりませんが、でも実の母親を押し付けて年1回も顔を出さずに、支払いさえも絶対払いたくないって言って拒むそんな叔母の姿は最低極まりない人種だと今でも思います。
だからそんな祖母がある意味で可哀想でした。離婚をし、女で一つで二人を育てたのに扱いは酷いものです。それでも父は今日私たち孫の存在は祖母にとって一番大きく、一番笑顔が多かったそうです。
 
 正直自分は色んなところに連れていってもらって長女として良いほうに扱ってもらい、色んな話をさせていただきました。でも自分は不満ばかりで祖母に何かをしてあげられた覚えがありません。何度も思い出してわからないのはきっとできてないんだと思います。
 ただ、生前にお願いされたことは既に一つはできて、一つは不可能でした。あと一つは勇気をもって父に聞いてみるしかありません。せめてそれぐらいはできたらいいなと思っています。
 
 そして、もしもこの長いブログを見てくださった皆様には大切な家族と写真を撮っておく事をお勧めします。あんなにも大好きだったのに、気付いたらほとんど写真がなくてとても悲しい思いをしています。本当に三脚なんてそんなに高いものがあるわけではありません。一緒に撮る事もお勧めします。やっと見つけた数枚は今の私にとって新しいスタートの形にもなったので…。
 
 私にとってとても可愛がっていただいた祖父母にNaoと家族はとても感謝しています。私の両親がいなければ、そして祖父母がいなければ私たちは生まれてきてはいないのですから…。
 
 そしてあちらでゆっくりのんびり大好きな煙草にお酒、TVを地上波で見て、大好きな甘味を楽しんでください。タマにもよろしく♪
 そしていつかまたどこかで会いましょう…。
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