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お引越ししてきました

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広島のことは今でも忘れていない

今日、8/7の8時15分が広島原爆投下の日時ということが、ここ10年の間に若い人達の間でも知らないらしい。
理由は無関心とそのグロさらしい。
まぁ、最近報道を見ていてもそうだけど、配慮という言葉で色んなものがモザイクだったり色が抜かれたりで、逆によくないのかもしれない。

実家には中2と小5の兄弟がいるが、やっぱり映像を見てもピンと来ない。
父の説明は脅しになっていて悟らせることができず、ただ泣いちゃうだけになったりもして、アホかとよく思ってフォローが大変だったりしています。
少し前は内戦が続いているような場所のニュース映像を見て、痛そうとか可哀想とか、胸が痛む思いをした自分がいました。

今はそれもないんですよね。
弟らは映像が流れても平気で御飯食べてますもの。
血も映されなければ、負傷している人の姿も見えなければ、死者って言われてもピンとこない。
映された地域で誰かが亡くなっていることを感じられず、なんとも思わないことに弟達の感情は大丈夫だろうかと不安になってしまう。

実際に私が一番身近に感じたのは、妹の同級生。
あの湾岸戦争から逃れてきたイラン人家族がいて、収束後数年経ってから国に帰りましたけど、やっぱり日本が良いと言って帰化したそうです。
身近にそういう人を見てきていると、その悲惨さがわかります。

どんなに訴えても核がなくなることはないでしょう。
米が核廃棄するには、今保有している国々が滅びない限りは捨てないと個人的には思っています。
平和とは個人が平凡でありきたりな生活を送れれば平和。だから、どこで戦争やっていようが、私にそれが来なければ平和だから、別に全世界の平和なんて願わなくていいの、変わりやしないんだから。
そんな同級生の言葉を時折、思い出します。

修学旅行の記憶も私だけ不思議体験して、友達に怖がられるし……。
広島を改めて思い出すと平凡な記憶ばかりです。
そんな重要な場所である広島や長崎がある日本。

30代の私も若い世代に入るのかが疑問ですが、少なくとも今日の日を無関心ではいません。
亡くなった祖母達も疎開した時の話しや、地元のその世代に聞いた話しが今でも忘れていませんから。
それを思い出すと、今後の日本はどうなるのか心配ですけど、どうしたいのか、どうなってほしいのか考えられない自分が居ます。
こんな自分でいいのかな……とさえ。

誰かにとっての平和っていったいどういう形なんでしょうかね。
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