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お引越ししてきました

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バックトゥザフューチャー(BTTF?)

最近の省略には頭を抱えます(-_-;)
先日もレシピを見ていてクリチってなんだよ!?と、すぐには理解できずそのレシピはパスしました(笑)
クリームチーズかよ……。

さてさて、バックトゥザフューチャーは私の大好きな作品♪
マイケルさんに会いたくて会いたくて、日本でレンタル作品が少ないのが難点です。
有料なんて入る余裕もないし、やっているのかもわからないけど……。

そんなバックトゥザフューチャー、USJに行った時もトミカとポストカードを買ったりしたものの、アイテムが少ないんですよね。
ラジコンとかあったけど、マーティーの帽子とかジャケットとか欲しいぐらい!
ホバーボードピンクもいいよね!

期間限定でいいからUSJとUSJの通販でペプシ売ってくれればいいのに。
フライングゲット!で、アメリカでは買えなかった人が激怒している模様です。
でもUSJは車で行っても再入場できないのが痛いところ。
これがなくなると夢の国のようにもうちょい行こうかなと思うんだけど……。

まぁその話しは置いておいて、久しぶりに再会した二人が公開された動画。
色々と実現したものがあるので凄いなぁって思っています。
そんな私も、アレを作れないかと高校の卒論でやってみたことがあります。
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わけがわからん隣人

盆は東京の実家に帰省していました。
帰宅前日に兄弟で手持ち花火を台風接近に伴う強風の中、昨年と同じように家の前でやっていたのですが……。
突然お隣の窓が開いて

「うわっ!花火かびっくりした!火が危ないから止めてくださる!!家に燃え移るでしょ!!」
と顔も見えない相手から怒鳴られたのです。
しかも謝る前に窓をピシャリ!凄く不快でした。

今回は甥っ子達も帰ってしまって花火の袋は二つだけでしたから、本数としては少なかったのですが、煙は強風があっという間に掻き消すし、その風が少しでも和らげられるようにと、私の愛車と家の壁の間でやらせて隣りとは離れていたというのに……。
去年は倍の人数でやっていたのに、なんで今年は!?って思いです。

しかも、19時前にお喋りはほとんどせず黙々と花火。
風も強いし、雨は微妙に降っているしで早く消化したかったのですが、一袋で止めました。
下の兄弟は去年は花火ができたので、とても納得できなかったようで、すぐに両親に報告し何がいけなかったの?と尋ねる始末。

弟はブチ切れながら煙草をもくもくさせに行き、私が説明したものの、やはり納得はできず……。
そしたら境界線のところでバットの素振りやキャッチボールをするお隣さんも危険だろと激怒。
でも、言わないんです。

だって、お隣のお兄ちゃんたちは野球の練習を頑張っているのに、それを危険だからって言ったら練習する場所がなくなってしまうからです。
まぁ見ても聞いても分かるのですが、その声の主は若いおばあちゃんのようで、引越の挨拶でも上から目線だったり、もの凄い神経質で、その家は高い木々が全体を覆って中は見えないようになっています。

けれども、人の目線には等間隔で10枚ぐらいの駐車禁止マークを貼り付けているんです。
しかも、ここの近所にはお喋りな人がいるもので、運送業者が自分の家に届けに来た時も、家の前に置かれると激怒し、我家を含む隣などに置けとのこと。
その瞬間、またか……って感じです。

前回住んでいた地域も自分勝手でそういう人達ばかりでした。
町内会の集金やらで尋ねたら、ゴルフクラブを振り回すとか、同じように市の作業車を我家の目の前に置かせて出られないようにして嫌がらせしたり、人格を疑います。
最後には「持ち家じゃないから」です。

馬鹿らしい。
近所の公園はゴルフの素振りOKなんですよ(笑)
野球やテニス、バドミントンも駄目。
花火も駄目でお喋りも駄目だから人の居ない公園。

でもゴルフはOKって子供が駄目で大人がOKってこと?って変過ぎました。
一本奥の道で高校生?がバドミントンやってましたけど、それもなんだかなーと。
どうせ使わない公園なら潰せばいいのになんて思っちゃいました。

あぁ、実家は田無にでも戻ってもらってのびのびと遊んでもらいたいです。
本当、最後の日に不快でした。

広島のことは今でも忘れていない

今日、8/7の8時15分が広島原爆投下の日時ということが、ここ10年の間に若い人達の間でも知らないらしい。
理由は無関心とそのグロさらしい。
まぁ、最近報道を見ていてもそうだけど、配慮という言葉で色んなものがモザイクだったり色が抜かれたりで、逆によくないのかもしれない。

実家には中2と小5の兄弟がいるが、やっぱり映像を見てもピンと来ない。
父の説明は脅しになっていて悟らせることができず、ただ泣いちゃうだけになったりもして、アホかとよく思ってフォローが大変だったりしています。
少し前は内戦が続いているような場所のニュース映像を見て、痛そうとか可哀想とか、胸が痛む思いをした自分がいました。

今はそれもないんですよね。
弟らは映像が流れても平気で御飯食べてますもの。
血も映されなければ、負傷している人の姿も見えなければ、死者って言われてもピンとこない。
映された地域で誰かが亡くなっていることを感じられず、なんとも思わないことに弟達の感情は大丈夫だろうかと不安になってしまう。

実際に私が一番身近に感じたのは、妹の同級生。
あの湾岸戦争から逃れてきたイラン人家族がいて、収束後数年経ってから国に帰りましたけど、やっぱり日本が良いと言って帰化したそうです。
身近にそういう人を見てきていると、その悲惨さがわかります。

どんなに訴えても核がなくなることはないでしょう。
米が核廃棄するには、今保有している国々が滅びない限りは捨てないと個人的には思っています。
平和とは個人が平凡でありきたりな生活を送れれば平和。だから、どこで戦争やっていようが、私にそれが来なければ平和だから、別に全世界の平和なんて願わなくていいの、変わりやしないんだから。
そんな同級生の言葉を時折、思い出します。

修学旅行の記憶も私だけ不思議体験して、友達に怖がられるし……。
広島を改めて思い出すと平凡な記憶ばかりです。
そんな重要な場所である広島や長崎がある日本。

30代の私も若い世代に入るのかが疑問ですが、少なくとも今日の日を無関心ではいません。
亡くなった祖母達も疎開した時の話しや、地元のその世代に聞いた話しが今でも忘れていませんから。
それを思い出すと、今後の日本はどうなるのか心配ですけど、どうしたいのか、どうなってほしいのか考えられない自分が居ます。
こんな自分でいいのかな……とさえ。

誰かにとっての平和っていったいどういう形なんでしょうかね。