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お引越ししてきました

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京都旅行で不思議体験



京都旅行のくだりは別記事で書いてあるのですが、その際に気になった事が二つ。
最初は嵐電の駅前にある車折神社
現在パワースポットとして有名で、TVでも取り扱われていますが、この写真を撮って待ち受けにするといいという話しで、私も撮影してきました。

ただ、私の気のせいでしょうか?
何枚か写真を撮りましたが、下の写真だけ妙に右側から丸みを帯びた感じで光が変な入りをしているような気がするんです。
なんか石の周りがぼやけているような……。

まぁこれはまだいいんです。
本題はこっち。


そもそもお前なんでここで写真を撮ろうと思ったの?と、思われるかと。
ちゃんと理由があるのです。

京都には紅葉を鑑賞しにきたわけですが、リサーチをしっかりしておらず、とりあえず嵐山!なんて感じでした。
渡月橋と紅葉を楽しんで帰るつもりでしたが、花灯篭のイベントをやっていて、まだ行ったことのない嵯峨野の竹林がライトアップされて楽しめるということで、行こう!と私から言いました。

色んな物を見るの大好きなんですが、この時は疲れていたのにとにかく行ってみたいと思いましたね。
列について行って、竹林を歩き始めた時に、初めてじゃないかも?と違和感を覚えました。
進むにつれて竹だったり、ぼんやりと墓地?か何かがあるような場所に出たりと、見覚えがあるんです。

人々が色のついた竹林を一生懸命撮影する中、私は花灯籠と道の曲がり具合、アップダウン、花灯篭のぼんやりとした暗がり……これらに途中から怖さを思い始めたのです。
そしてその先にある竹林の雰囲気を撮影するために、この地点で一度立ち止まる人々が多かったのですが、私が怖くなってシャッターを切る時は人が捌けていました。
そしてこの一枚。

Twitterで先に呟いてはありますが、その際にIEでUpしようとしたら合計10回もブラウザ落ちし、chromeに変えてみても同じでなかなか上手く行きませんでした。
しかも、スマホから先の二枚をUpしようとしたら、スマホまでもが突然フリーズ。

今何回目でしょうか?
PCまでも3回落ちて接続がうまくいきません。
更に怖くなっています。

話しを戻しますが、この写真を撮影した理由――。
それは遡ること5年前、2010年。

この前年の9月に大好きな母方の祖母が他界し、翌1月四日に父方の祖母も他界しました。
既に父方の祖父は小6の時に他界、大好きな母方も21になる年に他界していました。
その年の二月頃、真冬なのに汗で布団が湿るほど夢でうなされました。

青空広がる山中を窓のないトロッコ列車に、次女と三女がいない状況。
しかも長男が中三ぐらい、次男が四歳ぐらい、双子が二歳ぐらいでした。
現実と年齢が違い、若返っていたことを気にすることなく、トロッコは進んでいきます。

鉄ヲタの父が一眼レフ片手にトロッコ列車を撮影し、母の膝の上で次男が風に吹かれるのをニコニコで楽しんでいました。
赤と黄色のトロッコは、横に大人四人ぐらいが座れる長さで対面式。
すのこの様な隙間がある茶色の座席。

どこまで行くのか分からない電車に揺られながら、膝の上の妹と景色を楽しんでいました。
とある木々が生い茂る山中にさしかかり、陽射しが遮られて少し暗いところにさしかかった時、トロッコは急ブレーキをかけて止まりました。

他の乗客も突然止まった単線のトロッコ電車に、どうしたのだろうかと首を傾げながら先頭車両をトロッコから顔を出して覗きこむのですが、何が起きているのか分からないようで、私達の場所からも何かを確認することはできませんでした。
鉄道員の父は信号があるのかもと言ったその直後、山の中をドンドコドンドンとリズミカルな音が鳴り響いてきました。

けれども、なんだか嫌な感じの音で弟となんだろうと会話していると、別の乗客の悲鳴が上がりました。
谷で停車していた満席状態のトロッコ電車を囲むように、斜面に生える木々の合間から真っ黒な布を被った何かが現れたのです。

頭の先が尖がった覆面と一体化した足まで隠れるローブのようなものを身に纏い、さながら黒魔術でも始めそうな装いで、じりじりとトロッコ電車に近づいて来たのです。
その風貌に恐れを感じた乗客が、トロッコのドアを開けて降りようし、高低差でバラストに足を取られた年配の男性が転げ落ちながらも、すぐに立ち上がって逃げようとしました。

ですが、迫っていた黒服に男性はつかまり、そのまま刺殺されてしまったのです。
不思議な事に電車の先頭には運転士の姿はないのか、先頭側のトロッコの乗客が悲鳴を上げて逃げ始めるのが、人々の頭越しに見え、父はカメラのレンズを付けてカバーを掛けると、母の膝に居た次男を抱き上げました。

「逃げるぞ!」

そう言うと、父は両サイドを確認して、進行方向左側のドアを開けました。
私はバッグも持たずに妹を走りやすいように抱き直し、高低差に一瞬戸惑いながらも、父が一度妹を預かり、私は降りることに成功しました。
長男と母も同じように降りる間にも、色んなところから悲鳴が聞こえ、母が降りると同時にそのまま真っ直ぐ山の斜面に向かって走りだしました。

周囲には絶命した最初の男性の姿が見え、父は「見るな!走れ!」と言って木々の陰で暗くて足元の悪い山道へと入って行きました。
悲鳴に恐怖を背中で感じながら、坂を上って行き、チラリと振り向いた時には何人かが追いかけてくるのが見えて、必死に上を目指しました。
その際に見えた光景は、トロッコ周辺に赤いものが広がり、その中を黒っぽい点が見え、それが確認できなくても「人」であるのは分かりました。

最初は土の香りが漂う杉林が、今度は深い緑の竹に変わり、枯れた笹の葉の絨毯を進んでいくと、やっと道に辿り着いたのです。
追手は見えないものの、トロッコに乗った街に出るまでは安心できないと、その道を右と左、どちらに行くか迷い、この時は右を選んでいました。
気が付けば長いこと走ったり、歩いたりしていたのでしょう。

空は夕闇が訪れ、暗くなり始めていたのです。
街灯もない場所では視界が悪くて、あの黒服がどこにいるかわからないと、父はへとへとな私達を歩けと声を荒上げて走らせようとしていました。
確かにこのままでは死んでしまうと目にした光景を思い出し、歩いてでも行かなければと歩みを進めていると、竹林の中にぽつんと門扉が現れたのです。

それが上記の場所。
夢から覚めた時も名前をしっかり覚えていましたが、検索をしようとは思わなかったのです。
この時は、まだ悪夢だから覚えていても意味がないと思っていたので。

それでもこの夢を忘れる事はありませんでした。
この夢を見た二年後に関西に転勤になり、初めて京都の叔母のところへ来た時に秋の嵐山に寄りましたが、その時はこのお寺の構えが違うと気にも留めていませんでした。
ですが、今になってカラーで音と香りのあった夢が重なりを見せたのです。

夢の中でこのお寺を見つけた時には門扉が開かれ、奥に家屋が見えたので人を求めて中に入ろうと父を説得し、入って行きました。
最初はあの黒服の本拠地だったらどうするんだと言われましたが、ここは違うと思うと言い切った私がいたのです。

けれども、おかしいことがあるのです。
夜が訪れようとしていたはずなのに、境内の中に進むと水色と淡いピンクで書かれた看板があり、上部には「蓮正寺境内図」と、書かれていました。

きっと、何かの名前だろうと父が言い、人を求めて地図の通りに境内を進んでいきました。
でも夜が訪れていたはずなのに、そこは昼間のように明るく、ピンクの蓮の花が浮かぶ、手すりのない橋を渡って、右に左と繋がる道を複雑に歩いて行きました。

そう、まるで天国があるならこんな感じなのかな?と、母と会話していたのです。
なので、追手が来るようには思えなかった。
ここがどういう場所なのかは分かりませんでしたが、気が付くと、再び夜と竹林が広がり、足元を等間隔で両側に灯篭が淡い明かりを灯している道にでました。

ですが、いつの間に追いついたのでしょうか。
あの音が聞こえてきて、黒服たちが追いついていたのです。
一度も泣くことがない幼い弟達を抱いて、必死に花灯路の間を駆け抜け、下って上った後に眼下を今歩いている道と、川と、お店が立ち並ぶのか明るい光を帯びた対岸が見えたのです。

あと少しだ!あと少しで街だよ!
そう父に伝えると、家族でその場所を目指して、くねりのある坂を下って行きました。
途中、茶屋らしきものが一軒だけありましたが、そこに助けを求めようとは考えず、もっと坂を下ってあの対岸に行かなければと私は思っていたのです。

そして走りながら大好きだった母方の祖父母の名前を呼んでいました。
「じいちゃん、ばあちゃん助けて!」
これを最後まで繰り返し……。

けれども道が途切れ、上から見た時は狭く感じた川が、近くまで来ると広いような狭いような、そんな感覚になり、父は何故か
「飛べ!!」と、言うのです。
父は弟から抱いていた末の弟を片手に受け取ると、弟は勢いを付けてジャンプしてしまったのです。

闇の中で見えない弟。
それでも父はお前も行けと私を怒鳴りつけ、私は妹を父に預けると、双子はきょとんと何が起きているのかを終始理解していなくて、私は対岸に行けば助かると、流れのある幅が広がったり狭まる不思議な川を飛び越えたのです。

地に足を付けて振り返ると、川は消え、闇の中に高低差が出来上がって、下の方に父と抱かれた三人の兄弟が見えました。
でも弟は見えないんです。
私は手を伸ばして妹達を!!と叫ぶと、父が一人ずつ私に渡してきて受け取りました。

どうして手と手で受け取ることができるのに、見えない壁があるようで父は来ないんです。
弟達を連れて先に行け!それしか言わなくなっていたのです。
私は両親を助けてと祖父母に願いながら、目が覚めたのです。

あまりにも強烈で、怖くて……。
昔から正夢も多く、ほぼ毎日見る夢の内容を覚えてはすぐに忘れてしまいます。
いくつかの強烈で怖い夢があり、特にこの夢は出てくる名前をしっかり記憶していたことがなぜなのだろうかと自身で疑問が湧いてきます。

この茶屋を下る前の景色が、今回初めて通った竹林を抜け、嵐山の方に戻る途中の景色が同じだったのです。
川はこんなに大きくは見えなかったけれども、ジャンプする時には広がったり狭くなったりしたことから、夢の中で嵐山に来たのだろうか?

ならば、どういう意味があるのだろうかと考えています。
夢でうなされた日は、相部屋の出てこなかった妹が驚いて起きてしまい、別室の母も気が付いていました。
理由を話すと変な夢とか、裏ではショックが多きんだねお姉ちゃんみたいな感じでしたが、それ以上の何かを感じています。

あそこまで行ったことのない場所が、夢とリンクするものなのだろうか?
謎の生まれた京都での不思議体験、何が関係しているのでしょうか……。
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