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昨日からこのニュースが飛び交ってますね。
一番最初の弁護士さんの事件のときは5歳、松本サリンは小4、地下鉄の時は5年生でした。
最初の事件はまったく知りませんでしたが、その翌年に銀座へ毎年恒例の三越で行われる模型ショーに行くため銀座へ行った時に選挙運動しているのを小さいながらも記憶にあります。なんだろう?この洋服?変なの。
変な歌に、変な服、のぼりもどっかのアラビアのお店のパフォーマンスかな?と思ってました。
でも当時でも覚えている両親の顔。とっても不審そうに見ていて、チラシを私に向けて渡そうとしたのを見て父が抱かかえてその場を足早に去ったんです。恐らく、当時の弁護士さんのニュースを見ていたから怪しいと思っていたんでしょうね。同時に父は、あいつらはいつか危ないことをする、まだまだ人を殺すだろうと言っていたのを覚えてます。
それが小さい私には何が危ないことなのかは検討もついていませんでした。
そして小4の時に起きた長野の事件。なんかザリガニも死んでる……なんだろう?ガスで人が死んじゃうの?と当時は毒ガスの概念がありませんでした。これにより、当時2個上の6年生の修学旅行とか長野の菅平だったのですがそれでも危うくなくなるかもしれませんでした。不安という保護者がいたので。まぁ行ってましたけど。
そしてその数ヵ月後、地下鉄サリン。そのちょっと前は西日本は阪神大震災でてんやわんやで大変だって言うときに、今度は東の東京のど真ん中で地下鉄サリン事件が。当時、私の母は保険のおばちゃんをやっていてこの日は警視庁に行く予定だったのですが、前日に時間をずらしてほしいと言うことで時間を午前から午後に。父も鉄道員なので地下鉄乗り入れもある路線なのでこの日は本当に大変でした。母は巻き込まれるところでしたし、父は対応で忙しかったし、私はのんきに卒業式に向けて練習していた記憶があります。木琴頑張ったな。
その2ヶ月前は国会見学とか行ってたので余計に衝撃的でした。
ここから逮捕されるまでにちょうど富士山にドライブにも行ってました。ちょうど、苺狩りの季節で会社の提携がそっちにあったんです。それで河口湖行って、道の駅の温泉施設に寄る為にこの旧上九一色村を通過したこともありました。その時は誰一人通ることなく、静かに通り過ぎました。
刺殺事件も衝撃的でしたね。当時ニュースの時間帯でリアルで見ていた記憶があります。あ!って思いましたね。怖くて両親を呼んだ記憶があります。同時に、あぁ人って悪いことしたら報いがくるんだね、そしてあっけなくてあんなに簡単に死んでしまう……怖いなって。
そして逮捕。ニュースを見て驚きました。ここに拠点があって、ついこの間通り過ぎたんですから。
この16年間の間にも名前を変えたり、裁判の話題が出てきたりもありましたけどとっても長いなって。私も27になっちゃって、この事件小学生の時だよ!?って本当に思います。なんで悪いことした人がこんなに生きたかった人を殺してそれ以上に生きてるんだろうって。
私みたいな一人間には解らないこともいっぱいあるけど、若い入団者も増えてるっていうし、これが原点回帰とか言ってるし、不安に生きなきゃいけないって本当に怖いなって思いました。
地下鉄サリンのすぐに、自動小銃持ってテロ起こす予定だったらしいし、そんな基本が変わっていない集団が原点回帰なんて言ってるそうで本当に不安です。
16年…早いし長い…。一連の事件で被害に遭われた方々のご冥福を心よりお祈りします。
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楽しいことや達成感も勿論ありますが、逆に大変な事の方が多く感じます。このストレス社会から守ってくれる法律ないかなぁってよく思ってます。
1
まず苦労することはクレーム応対。これも様々ですが、正直どうにかできるものと、出来ないものがあります。
そもそもクレームって最初はUFOなら取れなかったり、メダルなら不具合が全然直らなかったりその原因はまずプレイ環境から始まります。ですが、その初期応対担当者が悪いと今度は店員の態度に苛立ちを覚え、最終的には人へのクレームになります。物から人へってやつですねー。
こればかりは発展しちゃったらもう大変!殴られる・突き飛ばされる・警察沙汰になる~あはは~って感じになります。
でも、景品が取れないようにはなかなか設定しません。それじゃ本当に詐欺でしょ、そうゆう店もありますけど。景品にも単価があるんですよ、タダじゃありません。カードゲームのイベントだって単価があって企業からお店が買ってるんですから、経費の中でやらないといけないので無茶は通りません。本当はしたいんですけど経費がね。
これを説明するわけにもいかず、「店長からそう言われておりますので~」とか、話術でうまく切り抜けるしかないです。
でもこうゆうクレームは、意外と年配が多いんですよ。若いのはゲームっていうものを理解してるから、自己で取れないとか思ったら呼んでくれたり、諦めを知ってるんですけど、年配はわがままだから100円で3個くれとか、一回じゃ取れないのは詐欺だろうとかアホかって思います。こうゆう輩をどうするかが問題。これもクレームになるのが多いので極力相手にしないとか対策を持って挑んでます。所詮UFOコーナーは一見ですから、そこからこなくなろうとそこはお客様の選択なので関与しませんという心意気で(笑)
ある程度そう楽にしないとストレスばかりで死にます。
2
女の子には大変な重いものを運ぶこと。UFOを店舗の外に出すお店では大変です。一度動けばよく滑るので動きますが、何かに引っかかるとそこからうまく動かせなくなったり。でも男性はこうゆうのに配慮がかけるんですよね。ほとんどのゲーセンが男性率高いですから、配慮に欠けます。なので女の子は怪我したり、あざ作ったりが多いです。
メダルもそう、手は汚れるし荒れるし、メダルも重たくて補充分ならいいけどカウンター常備のお店は運ばないとならないから重たかったですね。メダル25kg分を青箱というものに入れて持っていくんです。台車があるときはいいけどないと大変でした。
また、大型景品や箱物も人が入れる大きな箱に入ってくるのでとてもじゃないけど重たさと腕の長さでいっぱいいっぱいな事もあります。小さければいいってものじゃないけど。たまに小さいのに中が時計類だとずっしりです。重たい荷物を運ばざるをえないときもあるのでガッツ必要です!
3
これも女の子限定ですが、いや…そんなことはないか…。季節によりそれに合わせたコスプレをすることもあります。4年間いたお店は制服がホテル並みのもので丈もひざ上でしたからちょっと可愛い感じでした。なので、その制服でUFO上の景品保管場所に脚立で上ると男性にはチラリズムで興奮するようです。
景品を取ってるときとかにも突然下から
「見えるよ!」とか。
景品を補充しているときに突然お尻を触られたり、卑猥なことを言われたり、一礼中に突然胸をわしづかみにされたりと正直シラフも酔っ払いも関係なくされたので男性不審になる子も続出しました。それで辞めちゃう子もいたし。コスプレ中も季節の雰囲気でするのできっと池袋GIGOさんはもっと大変なんだろうなと感じてます。
いや、必要なんですよ。やっぱりその時の雰囲気に合わせてやらないとここも盛り上がってるな!っていう感じがお客様に伝わらないし、逆にやらないと集客されないのも実験で立証済みです。実施した年と実施しなかった年で売り上げ愕然でしたからね。必要なんです。
ちなみに、女性の立場で書いておりますが男性も被害にあうんです。私のところには以前、セクハラババァと呼ばれる方が数人。どれもこれも高齢の女性で男性スタッフに赤い口紅で寄ってきてはお尻や股間を撫で回し、一緒にホテルに行こうとか口説かれる始末……。周りでそれを見ていてインカムで筒抜け……。皆苦笑してました。被害者は気持ち悪くて助けてくれって叫んでましたけど、男性の場合助けにくいんですよね。
私の場合それが入ると、
「○○さん、さっきのことなんですけど!」と構わず行きます。営業妨害にもなるので。
こればかりは本当に男女関係なく訪れる可能性のあるものです(笑
4
人間関係がうまくいかない場合。まぁ働くに当たって避けては通れないですよね。企業によってちゃんとしているところもあれば、していないところも。やっぱり社員のお気に入りもあって贔屓で理不尽がありました。勿論それで何度泣かされたことか……。
でも、耐えられないとか、解決してくれそうにないと思ったら社員でないかぎり辞めてしまっていいと思います。
ストレスで自殺未遂した同僚もいたし、鬱病で病院通いになったり、危ないことに手をだしたりするぐらいなら自分を守るために必要だと思います。それを負けだっていうけど、負けじゃないんです、必要だからしてるんです。負けだっていう考えは結局自分の出世に響くのが嫌なんでしょうね、だから言うんです。
その職場がどれだけ安定してないかは働けばすぐわかります。毎週のように人が辞めていく状況とかいい物差しです。面談もしないような企業はハッキリ言ってアルバイトをコマとしか思っていないので辞めたほうがいいでしょう。良い所はちゃんと長続きしてます。
5
遅番は特にそうですが、帰りが遅いのでリズムが作りにくいと思います。学生が多いのですが、翌朝起きるのが辛くて某有名大学2年浪人した子もいましたね。
でも、会社側が学業より仕事が先でしょ?っていう場所はやめましょう。どう考えたって学生が学業しないのはそこに就職決めた以外にありえません。
将来的に考えて、ちゃんと学校出るのが今の時代ベストです。私なんか高卒だから就職しようにもしにくいし、エクセルとワード必須ってどこまでのことを言うのか解らないから応募がし辛いのが現状です。
だから学生はちゃんと学校出てほしいですね。本当そうゆう会社は辞めましょう。結構多いんですよ。
まだまだ苦労や嫌な思い出は沢山ありますが、書ききれないのが現状です。良いことや嬉しいことより多いものですから。こんな事もあるよー程度に見ていただければ幸いです。
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仕事は楽しくないとやってられないですよね。特にその辺の接客サービスはどんなに努力しても評価を得にくい大変な職業です。本気で好きじゃないとやってられないです。ディズニーほどにならないと実感を得られないでしょう。
そんなゲーセンでの仕事で充実感・達成感・楽しさを得られる瞬間。それはまた個人にもよります。
私の場合某企業4年間と今の半年で感じた瞬間…長い中でいくつもあります。
1
接客面では、個室内で体調を崩された御婆さんがあまりにも長いことこもって30分以上……他のお客様にもご不便をおかけするために、退店までずっと付き添い玄関までお見送りしたところ、後日お菓子を持って挨拶にいらっしゃいました。ですが会社規定で贈答品は受け取れないので丁寧にお断りさせていただいたのですが、私のことを孫の様に感じたようでとても肩を落としていらっしゃいました。私もとても心痛めましたね、同時に感謝でいっぱいでした。本当に心配していたので無事家にたどり着いたのかも気になっておりましたし、何より丁寧にご挨拶に来ていただいたのも嬉しかったです。その件は上層部にも届き、後日お偉い方に顔を覚えられある意味大変でしたけど

2
当時独身だったので遅番帯勤務していたとき、絶対に避けて通れないのが年齢確認。特にオープニングで盛り上がっていたし、市内でも一番の大きさを誇るそのお店はどの年齢層もやってくる大きなお店でした。
年齢確認は法令で定められていて、これは県によって多少は異なりますが大体は16歳未満は18時まで、18歳未満(高校生まで)は22時までしか入場ができません。アルバイトと一緒ですね、高校生は22時までですから。
最終的には店長が応対しましたが、ファミリーのお客様でお父さんが完全にキレちゃって店長の胸ぐら掴んで突き飛ばすまでに至りました。もちろん最初はアルバイトスタッフが丁寧に応対し、理解を求めたのですがやんちゃなお父様はブチ切れ。とりあえず、目の前5歩が交番なので聞いてみてくださいと言ったら警察官が
「えっ?駄目なの?まだ18時だよ?」
って信じられない言葉が……そして警察沙汰になる店長。まぁこの業界こんなこともあります。
ですが、このやりとりも高校生など学生が多かったのでいつかは慣れてくれました。それがいつしか嫌々な態度をとられていたけど、ちょっと違う声を掛けていくことによって
「今日も来たよー、はい学生証」
と、先に出してくれるようになりました。他の子も、今日このカード出たよとか話すようになりとても仲良くなれました。ちょっとした友達感覚も場合によっては必要で、顔も覚えてくれて大人よりも理解があり、名前まで覚えてくれていたときにはとても嬉しかったです。
3
どんな仕事でも売り上げは重要。人気も重要。この采配がうまくいったときは皆でとても喜びあいました。
もちろん失敗するときもありましたが、このやり遂げる事、提案がうまくいった時の達成感は味わないとわからないものです。集客でちゃんとマイクをいれたり、お客様に語りかけたり、ゲームセンターが大きければ大きいほど、好立地で流れの激しいところほど重要なので頑張りどころです。
その後で見る売り上げが達成されていると次回の刺激になりました。
4
景品を持ち御獲得されて、とても嬉しそうに帰られたとき。
何度も出会う光景ですがその中でもお子様の笑顔はとても嬉しいものです。私には小さな兄弟もいるので小さいお子様が御獲得されて袋に景品を入れてあげたときの「ありがとう」は嬉しさでいっぱいです。
この時がきっと一番の幸せを感じているきがします。
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常連様に頼りにされているのを実感したとき。
特に私はゲームが大好きでプリからカードゲームメダルゲームまでほとんどのゲームをやっています。知識も幅広いので各ジャンルに常連様が。
ですが私にも休みは必要、休みの間に何かがあると常連様には「君がいないとこのお店駄目だよ。何もわかってないんだけど」と言われた事が多々多々あります。
不具合を直すの遅いし、メダルをどれだけ使用するかわかってないし、どのゲームでよく遊んでいて何を求めてるかとか、ゲームを理解してないから不具合を言ってもまったく直らないし説明もない、よく常連様に言われました。他のスタッフはただお金を貰うために働いているためにそこまで気をまわさないようで、よく顔を合わせては言われていました。頼りにしていただけるのはとても嬉しいことなので、倍ご満足いただけるよう努力しようと思えるようになりました。
ざっと、私が感じたことを書いてみましたがまだまだ沢山思い出があります。もちろん人によって得たものは違うので体験してみないとわからないものです。